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zoom RSS J「民族神話」になった「慰安婦=挺身隊」の混同

<<   作成日時 : 2015/03/07 15:51   >>

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 李栄薫・ソウル大学教授(韓国経済史)=写真=も、慰安婦問題の真相を探求している学者である。「植民地近代化論」の有力な論客だが、ここでは「慰安婦」と「挺身隊」の混同問題について、彼が韓国教科書の記述を総点検した論文(小森陽一ら編集「東アジア歴史認識論争のメタヒストリー」青弓社、二〇〇八)を紹介したい。
 その研究によると、韓国の国史教科書が「挺身隊」について初めて言及したのは、一九五二年に書かれた教科書だ。そこで注目されるのは挺身隊という記述は「慰安婦という意味ではない」(同、九六ページ以下を参照)という事実だ。
 このような記述は、「一九六二年発行の教科書まで、一字の修正もなしに」掲載された。その後、一九七三年に書かれた教科書には「挺身隊に関する言及が見られない」。これらの結果から、李氏は当時の状況を次のように言う。「今日のように挺身隊と慰安婦を同一視する韓国人の集合的記憶は成立していなかった」と。
 しかし、一九六八年の「国史」教科書になって、「かよわい女性までも『女子挺身隊』という名で強制動員した」という記述が登場する。李は「このあたりで、挺身隊を慰安婦と同一視する民族神話を作り出すための基礎作業が始まった」と推測した。しかし、その後七八年まで、教科書には挺身隊や慰安婦に関する叙述は登場しない。「それが再び現れたのは七九年の国定教科書であり、その後、現在まで途切れずに記述されている」という。千田「従軍慰安婦」(一九七三)が出版された以降の記述であることに注目したい。このようにして「挺身隊と慰安婦を等値させる韓国人の集合的記憶が、国史という名で見事に公式化したのである」(李論文、一〇〇ページ)。七九年以降の具体的な記述の変化は次の通りだ。
「若い女性たちまでも産業施設と戦線に強制的に連行した」(一九七九年〜八二年)
「女性までも侵略戦争の犠牲とした」(八三年〜九六年)
「女性も挺身隊という名で連行され、日本軍の慰安婦として犠牲になった」(九七年〜二〇〇一年)
「多数の女性を強制的に動員して、日本軍が駐屯するアジア各地域に連行し、軍慰安婦とし非人間的な生活をさせた」(二〇〇二年〜)
 この李氏の論文で重要なのは、挺身隊と慰安婦を混同する教科書記述が登場するのは、なんと、慰安婦問題が燃え盛って数年後の一九九七年になってからだということだ。だから、植村氏が金学順さんカミングアウトの初報を書いた一九九二年当時は、「慰安婦=挺身隊」という韓国的な誤解は、教科書には公式化されていなかったということだ。
 では、誰が「慰安婦=挺身隊」説を流布させたのか? 李氏は論文で「特にマスコミの不注意かつ扇情的でさえある報道姿勢が一役買っている」と批判する。慰安婦問題が浮上した一九九二年当時、「韓国の新聞や放送での慰安婦に対する公式の呼称は『挺身隊』一色だった」のである。李氏は「このように一度作られた民族神話を克服することは、そうやたすいことではない」と言う。
 僕は「慰安婦=挺身隊」説の張本人として、ユン・ジョンオク共同代表ら「韓国挺対協」の関係者をあげざるを得ない。彼女たちは、植村氏などの慰安婦取材にあたって、その周辺にいて「慰安婦は女子挺身隊の名で戦場に連行された」と説明していた。金学順さんの実名インタビューに初めて成功した北海道新聞のK特派員も、「(そういう説明を聞いて)変だなあと思った」という。なぜなら幼い頃、彼の母親から「挺身隊に動員された時の苦労をよく聞かされていた」からだ。これが日本人記者の「コモンセンス」だったはずだ。しかし、実際には「挺対協」ペースに乗せられた慰安婦記事になった。
 本稿の結論は、すでに明らかであろう。韓国独立後「慰安婦=挺身隊」の民族神話はなかった。教科書にもそういう記述はない。ところが一九六〇年代後半から、「民族神話を作り出す基礎作業」が始まる。その後、曖昧な表記が続いて、一九九二年、慰安婦問題の「爆発」を経て、九七年に「慰安婦=挺身隊」が公式化が完成したということだ。このような変化の中で、「そこには朝鮮人慰安婦はいない」(朴裕河氏)と酷評された「慰安婦少女像」が二〇一一年、駐韓日本大使館の眼前に登場する。見事なまでの「歴史の偽造」と言うしかないのではなかろうか。
 この「慰安婦=挺身隊」混同問題をめぐっては、歴史研究の「最後の砦」になるべき学者の失態も看過できない。平凡社刊「朝鮮を知る事典」(一九八六年版)は、「一九四三年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約二〇万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の五万〜七万人が慰安婦にされた」と記述し、朝日新聞の記者らが参照していた。この項目を執筆した朝鮮史研究者の宮田節子氏(元早稲田大講師)は、千田「従軍慰安婦」の記述を引用したという(朝日新聞二〇一四年八月五日の検証記事)のだから、日本の朝鮮史研究の水準が分かろうというものだ。新聞記者だけでなく、歴史研究者までもが、韓国人の無責任な言い分に引きづられたのである。日本のコリア研究に特有な「贖罪史観」のなせる技だと言うしかない。この点については、稿を変えて論じる。

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